Komogomo
広報誌こもごも


当園の広報誌「こもごも」は、「悲喜(ひき)こもごも」より名付けています。
「悲喜(ひき)」とは「悲しさと喜び」、「こもごも」は「入り混じる。次々に」を意味します。
総じて「こもごも」は一人ひとりの心の中が、嬉しさと悲しさで入り混じっていることとなります。
当園の広報誌は、利用者様のおひとりおひとりの毎日に寄り添ったものでありたいとの願いを込めて作成させていただいております。
介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会で配布したコラムですが、
ある御利用者との思い出です。ひまつぶしにどうぞ♡
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委員会が始まるまでの暇つぶしコラム |
『社会人のマナー』
いつものように仕事をしていたら、PHSに相談員から連絡が入った。
「入院中のSさんが亡くなった」との事。
僕はいつもの様に仕事をする。
企画部に行き、次の入園者について話し、
何日かしたらSさんの家族が引き継ぎの為に来園されるから、挨拶に行く。
この時神妙な顔を作り、お亡くなりになった事を
悔やんだフリをするのが社会人のマナーなのだ。
Sさんは明るい性格で、声を掛けるとその返しがユニークだった。
「もう夜やで。」というと「アラそう、一緒に寝る?」とか、
「朝ご飯やで。」なら「アラ嫌だ、メイクがまだよ。」
なんて具合だ。
Sさんは僕が棟のリーダーをしている時入園された人で、
僕達は利用者の入園までの経緯を「生活歴」の欄を
読む事で知る事が出来る。Sさんの生活歴には
「横浜で軍人である夫と結婚し、
夫からかなりの暴力を受けていた」と
壮絶な出来事が一文にまとめられていた。
この一文の中身を想像すると、そんな事を感じさせない
彼女の明るさ(下ネタが多かったケド)は
強く気高いものだと感じるには充分だった。
Sさんには一人娘が居たが、保証人は娘婿で、
第二、第三保証人もそれぞれ孫であった。
入園当初、娘さんは頻回に面会に来ていた。
面会に来ると居室の掃除をしたり足のマッサージをしたり…
僕が一度
「細目に面会に来て下さりありがとうございます。」と言ったら
「大変な父の為、母はいつも苦労していたんです。
だからもう大好きな母に苦労させたくないんです。」と
母親への愛情をストレートに伝えてきた。
僕はその時まだ娘さんの想いを知らなかったので
そのストレートさに珍しさと羨ましさを抱いた。
そんな中でもSさんは、居室で転倒したら
「ベッドの下にイイ男が居ないかなって思って…」とか
「今は朝?夜?昨日の夜激しくって解んなくなっちゃって…」とか、
少しずつだが確実に、肉体も頭脳もその機能が低下し、
その事を自覚していたが、彼女の強さが冗談で包み明るく見せていた。
Sさんの生活歴の所にはもう一つ記入されていて
「一人娘が居るが身体が弱く介護が行えない」といった内容だ。
娘さんはいつも夫婦で来て旦那さんは
居室前のソファに座ってボーッとしていて、
娘さんがSさんの所に行って話したり掃除をしたりしていたのだが、
そのボーッとしているはずの旦那さんが僕の所に来た。
「入園する前から妻は癌であった。だから母親を施設へ入れた。
治療をしていたが再発した。治る見込みはない。」との事。
僕はストレートに大好きと言える理由がほんの少しだけ解った。
居室では親子水入らずで「お母さんどう?」
「ここは男前が少ないから嫌になっちゃう。」
なんていつも通りの会話をしているが、確かに娘さんは痩せている。
旦那さんは「今日を最後の面会にしようと話し合って来た。
どんどん痩せて弱って行く姿を見せて心配させたくないから。」と言った。
娘さんはSさんに笑顔で「またね。」と言って立ち上がり、
背を向けた瞬間、堪えていたであろう感情があふれ泣き出していた。
顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼしながらも、
後ろにいるSさんには決して解らないよう振る舞い、
僕にいつものように「お願いします。」とだけ言うと、
いつもはエレベーター前で見送るSさんに手を振りながら帰るのに、
見送ろうと必死に車椅子をこいで
Sさんが後ろから来ている事を知っているのに、
そそくさと帰って行った。
「アラ、愛想の無い子ねぇー、誰に似たのかしら。」
と言うSさんに「親の顔が見たいよ。」と返すと
「アンタともう1人作ろうか。」なんて話していたが、
心の中では「娘さんはSさんに似てとても強い人だよ」と
感動しつつも、こんなSさんとの明るい会話に助けられ、
僕は介護のプロとして笑顔でSさんの横に居る事が出来た。
しばらく経ったある日、相談員から
「Sさんの娘が亡くなったが、本人には伝えない意向である」
との連絡が入った。
僕達は意向を申し合わせ伝えなかったのだが、
ある日、僕はSさんと何かの会話の流れで
「子供は宝」みたいな事を話した時、
Sさんは「私の娘は最近全然顔を見せないのよ。
この間来た時だいぶ痩せていたからもう死んじゃったのかしら。」
と冗談を言った。…というか、冗談だったのか、
全てを理解した上での彼女の強さだったのか、
最後の面会の時よりも認知も進行していたし、
解らないし、確かめようもない。
僕は管理職となり日常的にSさんと関わる事が減り、
Sさんと最後に交わした会話は
「嫌ね私ボケちゃって、その内何も解らなくなって、
娘の旦那に手を出したらどうしよう。」という「らしい」会話だった。
Sさんは亡くなった事で娘さんとの
「またね」を果たしている事だろう。
今頃娘と2人で御主人をボコボコにしているのだろうか…
いやSさんはそんなに弱くないか。
「アンタで我慢するか!」なんて冗談を言って
親子3人で一緒に居るんだろうなーなんて、
そんな事を考えるとほんの少しだけ胸がクッとなるが、
油断すると少しだけ顔がニッとなってしまう。
だから家族に挨拶をする時は
神妙な顔を作って亡くなった事を悔やむフリをしなければならない。
それが社会人のマナーだから…
おしまい
(I’m so happy that I met you♡)
介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会の時に配布したコラムの紹介です。
昔、利用者から聞いた、今では考えられない出来事です。
本当に僕なんかの文章じゃ伝えきれないんですが、ひまつぶしにどうぞ♡
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委員会が始まるまでの暇つぶしコラム |
『手』
僕がまだE棟のリーダー補佐をしていた頃の話。
利用者Bさんの車椅子肘置きに手を置いていたら、
Bさんは僕の手を撫でながら
「キレイな手ね、女の人みたい」と寂しい顔をした。
そんなBさんを笑わそうと、僕は
「今なら30分手を触り放題5万2千円のコースがあります」
と冗談を言った。![]()
Bさんは「100万円でも払うわ」と笑いながら
僕の手を握り話し始めた。
私の生まれた所は田舎で人手も少なく、
子供も私と近所に住む同い年の男の子
「たっちゃん」の二人だけだった。
学校は遠く、山を越えなくちゃ行けないんだけど、
今みたいに外灯なんかある訳ないから真っ暗になるし大変だった。
たっちゃんと手を繋ぎおしゃべりをしながら学校に通っていた。
温かくて優しい手だった。![]()
でも今思うとよくもまぁあれだけ毎日毎日話す事があったなぁと思う。
(この時笑ったBさんの顔は子供の様だった)![]()
学校以外でも卒業してもずっとたっちゃんと一緒にいた。
たっちゃんしか居なかったし、好きだったのかどうだったのかも解らん。
川に行ったり山に行ったり、お互いの家の手伝いをしてた。
18歳の時、たっちゃんの所に「赤い手紙」が届いた。
解る?兵隊として呼ばれたの。![]()
皆、お国の為に働けるって喜んでたけど私は悲しかった。
でも皆も本当に喜んでいたのかなぁ?
今思うと解らん。
たっちゃんが出発する前日の夜、
私が「たっちゃんと一つになりたい」って言ったら、
たっちゃんは私の頭をポーンと叩き、
「帰ってくるから…」と笑った。
(そう少し照れながら話すBさんの表情は
これまで見た事のない表情だった
)
それからしばらくして父から、結婚の相手が決まったから
二つ山を越えた村まで嫁ぎに行きなさいと言われた。
昔は結婚相手を自分で選べる時代じゃなかったから
私は結婚し、その人の赤ん坊を産んだ。
赤ん坊がまだ生まれて一ヶ月位の時、
家であやしていた時誰かが訪ねてきた。
ドアを開けた瞬間びっくり、そりゃあもう
心臓が止まる位おどろいた…たっちゃんだった…
子供を抱いたままびっくりして何も言わない私に
たっちゃんは「抱っこさせてくれ」って
赤ん坊を抱っこしたんだけど、右手の指が2本位無かった。
アンタ(僕)みたいにキレイな手だったのにボロボロだった。
「お前の小さい頃によく似てる」
それだけ言うとたっちゃんは帰って行った。
それから一度も会っていない。
今はもう、たっちゃんの本名も思い出せない…
その内全部忘れるやろな…
そう言うといつものBさんの顔に戻った。
僕達が生きる今の時代は
本当に多くの人の様々な想いや努力、苦労の末にあるのだろう。
Bさんの居室には優しく笑うご主人の遺影が飾られていて、
あの時の赤ん坊は両親の愛情に包まれ成長し、
月に1回位面会に来ては、互いの事を心配し親子喧嘩をしていた。
Bさんは数年後寝たきりとなり、皮膚が乾燥し痒みがあり、
オムツをよく外すから、その度に「オムツ外したら汚いでしょ」と
職員から言われていた。
会話も出来なくなり、全部忘れてしまったのか解らないが、
僕は利用者一人一人に歴史があり、
唯一無二の存在である事を改めて気付かせてくれたBさんに感謝し、
「30分触り放題コース」の5万2千円は請求しなかった。
Bさんがお亡くなりになり、E棟の静養室で
子供さんが握っていたBさんの手は、
シミだらけでシワシワでボロボロの、とてもキレイな手だった。
おしまい♡