Komogomo

広報誌こもごも

当園の広報誌「こもごも」は、「悲喜(ひき)こもごも」より名付けています。
「悲喜(ひき)」とは「悲しさと喜び」、「こもごも」は「入り混じる。次々に」を意味します。
総じて「こもごも」は一人ひとりの心の中が、嬉しさと悲しさで入り混じっていることとなります。
当園の広報誌は、利用者様のおひとりおひとりの毎日に寄り添ったものでありたいとの願いを込めて作成させていただいております。

たくたく会~あなたに届け恋のぼり~

大人のスタンプラリー「御朱印帳」が3冊目に突入した行

事委員の叶です。

5月のたくたく会は、鯉のぼりとかけて「~あなたに届け

恋のぼり~」という事で利用者さんに野菜や、ヨーグルト

のカップ、段ボール等、様々な素材のスタンプで「あるも

の」を作成させて頂きました(^^)/

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 皆さんそれぞれに、個性豊かな作品を制作し、最後に全

員で5月の歌を歌ったり、鯉のぼりの形のお菓子を頂きま

した。

 「これ楽しいわ!」と思いもよらなかった技術を発揮さ

れた方

 「綺麗に出来たわ」と満足な方

 「こんな可愛いお菓子あるんやね」とジュースとお菓子

を堪能される方

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皆様、新緑や鯉のぼりを愛でながら、楽しい時間を過ごさ

せて頂きました♪

作成した作品は、地域の皆様にプレゼントさせて頂けたら

と思います(^^)/

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母の日

母の日に子供達から猫の紅茶セットと花束を貰った幸せ者

の相談員、叶です。

 母の日にご家族様から利用者様にプレゼントが届きまし

たので一部を紹介します(^^)/

「娘が送ってきてくれるなんて思わなかった♡」と感動し

て涙ぐまれた0さん。

「うちの息子はセンスがいいから」とⅯさん。

「うちのひ孫が一番可愛い」と同封された写真を見て笑顔

のSさん。

皆さんとっても喜んでおられました♪♪気持ちはしっかり届

いております。いつもありがとうございます。

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新型コロナウイルス感染者発生のお知らせ③

 この度、当園グループホーム・特養の一部におきまして

、新型コロナウイルス感染が確認され、山城北保健所にご

指導いただき、感染拡大防止に努めてまいりましたが、4

月29日を持ちまして、待期期間の終了及び、新たな新型

コロナウイルス感染の発生がないことを確認しましたこと

をご報告させて頂きます。

 ご利用者様、家族様ならびに関係者の皆様には、ご心配

・ご迷惑をおかけいたしましたが、引き続き利用者様の安

心・安全に努めてまいりますので、ご理解・ご協力の程よ

ろしくお願いします。

 特別養護老人ホーム梅林園

 園長    藤原 寛直

日課

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会にて配布したコラムを掲載します。

20年近く前の利用者の話ですが、「もっとこうするべきだった」

「あぁしとけば良かった」等、思う事ってたくさんあります。

ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『 日 課 』

姉も僕も18歳の時、1人暮らしを始めた。

妹が18歳になり、同じように1人暮らしをする事になり、

父と母の2人になったら寂しいだろうと、

姉が両親に茶色でウェーブのかかった毛の長い小型犬をプレゼントした。

姉はオシャレな自分に酔うタイプなので、

その犬を「フラフィー」とオシャレに名付けたが、

母はアホなのでカタカナは憶えられず、

その見た目から「ヤキソバ」と呼んでいた。

母は毎日夜21:00頃、父の迎えも兼ね河川敷をフラフィーと散歩をしていたのだが、

ある日何かに興奮したフラフィーがすごい勢いで逃げ出した。

当時50代であった母は当然追いつける訳もなく、

父が母を見かけた時にはフラフィーの姿はなく、

息子の高校の時のジャージを着たオバちゃんが

夜の河川敷で「ヤキソバー」と叫びながら必死に走っている所でした。

「鉄格子のついた病院に送られるからやめなさい」と母を諭し、

2人でしばらく河川敷に座っていたらひょっこりフラフィーは戻ってきた。

今回はそんな話。

(どんな話やねん)

Oさんは夜19:30頃から決まって不穏になる。

職員のあとを追いかけ「ウチどーしたらええの?」とずっと繰り返し訴える。

「心配ないから」とイスに座って頂いても、おしぼりたたみをして頂いても

「こんな事してられへん、ウチどーしたらええの?」といった具合だ。

その時間はちょうど日勤が帰り、排泄介助や就寝介助に回る時間で忙しく、

当時B棟へ移動したての勤続2~3年目だった僕は、先輩から

「その内あきらめるか、疲れたら寝るから」と教わった。

毎日続くから19:00にPトイレを設置するAさん、

19:30に不穏になるOさん、20:00に点眼するBさん…と、

職員の認識は不穏である事が日常化し、特記事項ではなくなった…。

10年以上前の出来事で、その後Oさんがどの様になられたか思い出せないが、

あの不安気な表情で毎夜「ウチどーしたらええの?」と訴えていた事はすごく憶えている。

今の僕がOさんに思う事は、原因が解らなかったが、

本人にとっては上手く表現出来ないだけで何か意味があったのだと思う。

例えば記憶の逆行性喪失※が起きていて、過去19:30位に大切な何か、

もしくは、ライフワークとなっていた何かがあったのではないだろうか。

僕は毎日朝7:45に仕事の為家を出るので、休みの日でも時計を見て

7:45だとほんの少し心がザワつく。

これと同じ事なのではないだろうか?

Oさんは毎日19:30娘の塾の迎えに行っていたとしたら?

19:30にお父さんが帰って来ていたとしたら?

もし知る事が出来たら不穏を和らげる言葉を見つける事が出来たのではないだろうか。

不穏となる19:30の一点を見るのではなく、過去・現在をつなげ、線で見る事が必要で、

他職種・家族の線も加われば「面」になる。

これが大切なのだと今は思う。

認知症であっても考え方の仕組は同じで、知る事が出来るかは別として、

必ず要因はあり、知る努力をしなければ絶対に糸口は見つからないのだと思う。

もし僕の母が施設に入る事になり、

職員から「夜21:00になるとフラフラ外に出ようとするんです」と聞いたら

「その時間は犬の散歩がてら父を迎えに行っていました」と伝えようと思う。

皆さんも一度、困っている事を家族に聞いてみて下さい。

ヒントがあるかも知れません…

しかし子供の頃は母親が個性的で困っていたが、

まさか大人になってコラムを書くネタになって感謝する日が来るとは夢にも思わなかった。

本当に、当時は困っていたんですよ。

皆さんは経験した事がありますか?

二段弁当が二段共、白米だった事が…(姉はどっちもおかず)

※記憶の逆行性喪失→現在から過去にさかのぼって忘れていく症状で、

自分の中では昔の世界に戻っている状態

                               おしまい。